
2011年03月05日
江中直紀先生のこと
こんにちは。shimopooです。今日は、すごく個人的な思い出です。
江中先生は、大学時代のフランス語の先生でした。
白いTシャツ、ジーンズ、首から黒い小銭入れをかけ、
教壇でスパーッとタバコを吸いながら、
アンニュイな感じで授業をする先生でした。
すごく大人な印象を持っていましたが、
当時40歳くらいの助教授でした。
レストランでフランス語のメニューが読めたらいいな、
という漠然とした理由で第二外国語にフランス語を選んだ私は、
すでに前期の最初のテストで落ちこぼれ。
フランス語の活用をびっちり紙に書いて筆箱にしのばせ、
カンニングまでしましたが、赤点でした。
(もはや活用の次元ではなかったので)
「ハッハッハッツ。シモセキさんは豪快です!
こんな潔いよい点数(赤点)取る人はいません」と、
逆にお褒めの言葉をいただいたくらいでした。
その江中先生が、授業の終わりに、
早稲田文学編集室の学生編集部員募集チラシを配りました。
原稿を取りに行ったり、入稿準備をしたり、
印刷所から編集室に本を運んだり、
お手伝いの仕事です。
文学に関する知識はほとんどなかったのですが、
編集者に憧れていた私は、すぐに応募し、
早稲田文学編集室に通うようになりました。
江中先生は、たまに編集室に顔を出すくらいですが、
校了の日には、学生たちを誘って、ごはんに連れていってくれました。
神楽坂のIKOBUによく行きました。
初めてひつじの脳みそを食べたのは、
江中先生が連れていってくれた横浜のトルコ料理店でした。
初めてソムタムを食べたのも、
江中先生が連れていってくれた高田馬場のタイ料理店でした。
江中先生は、グルメな人でした。
編集室で、江中先生がラタトゥユを作ったという話をして、
学生たちが興味津々で聞いたら、
後日、レシピをワープロで打って配ってくれました。
20年前ですから、ラタトゥユなんて料理、
周りで知っている人なんて、いない時代です。
江中先生は、エキセントリックな人でもありました。
ああ、なんだか、次から次への江中先生のことが思い出されます。
大学時代、一番印象に残っている先生です。
2011年2月8日逝去されたそうです。
合掌
江中先生は、大学時代のフランス語の先生でした。
白いTシャツ、ジーンズ、首から黒い小銭入れをかけ、
教壇でスパーッとタバコを吸いながら、
アンニュイな感じで授業をする先生でした。
すごく大人な印象を持っていましたが、
当時40歳くらいの助教授でした。
レストランでフランス語のメニューが読めたらいいな、
という漠然とした理由で第二外国語にフランス語を選んだ私は、
すでに前期の最初のテストで落ちこぼれ。
フランス語の活用をびっちり紙に書いて筆箱にしのばせ、
カンニングまでしましたが、赤点でした。
(もはや活用の次元ではなかったので)
「ハッハッハッツ。シモセキさんは豪快です!
こんな潔いよい点数(赤点)取る人はいません」と、
逆にお褒めの言葉をいただいたくらいでした。
その江中先生が、授業の終わりに、
早稲田文学編集室の学生編集部員募集チラシを配りました。
原稿を取りに行ったり、入稿準備をしたり、
印刷所から編集室に本を運んだり、
お手伝いの仕事です。
文学に関する知識はほとんどなかったのですが、
編集者に憧れていた私は、すぐに応募し、
早稲田文学編集室に通うようになりました。
江中先生は、たまに編集室に顔を出すくらいですが、
校了の日には、学生たちを誘って、ごはんに連れていってくれました。
神楽坂のIKOBUによく行きました。
初めてひつじの脳みそを食べたのは、
江中先生が連れていってくれた横浜のトルコ料理店でした。
初めてソムタムを食べたのも、
江中先生が連れていってくれた高田馬場のタイ料理店でした。
江中先生は、グルメな人でした。
編集室で、江中先生がラタトゥユを作ったという話をして、
学生たちが興味津々で聞いたら、
後日、レシピをワープロで打って配ってくれました。
20年前ですから、ラタトゥユなんて料理、
周りで知っている人なんて、いない時代です。
江中先生は、エキセントリックな人でもありました。
ああ、なんだか、次から次への江中先生のことが思い出されます。
大学時代、一番印象に残っている先生です。
2011年2月8日逝去されたそうです。
合掌
Posted by petit-shimo at
11:12
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